755 秋元氏の熱い文

新曲”希望的リフレインが”がまだ届かない。

発送が遅れているようだ。

早くほしいのに。

 

 

 

 

 

 

今スマホで755が面白い!

特に睡眠時間が極端に少ない秋元氏の755は、すごいことになっている。

 

 

 

感動することの多い755の中で、特にこの文章を紹介しよう。

 

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9年前。AKB48は秋葉原の小さな劇場で誕生9年前。AKB48は秋葉原の小さな劇場で誕生したが、一部の熱狂的なファンには支持されたが、一般的な知名度は全くなかった。僕は当時、テレビの音楽番組を構成していたが、そのプロデューサーに「出演させて欲しい」と頼み込むことはしなかった。他にも番組の構成をしていたし、仲のいいプロデューサーやディレクターは沢山いたが、客観的に売れているとは言えず、迷惑を掛けたくなかったからだ。いつか、もっと一般的に人気が出たら、きっと声を掛けてくれるに違いないと信じていた。メンバーはテレビに出られない境遇を悔しく思っただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だから、一番初めに「ミュージックステーション」にデビュー曲で声を掛けていただいた時は本当に嬉しかった。足を向けて寝られないと思った。そんな時代、ラジオのbayfmが長時間のスペシャル番組を組んでくれることになった。僕は耳を疑った。まだまだ、一般的な知名度は全くないのに…?プロデューサーの浅地さんにお会いした。ユーミンを初めとする大物ミュージシャンのラジオ番組を手掛けて来たプロデューサーだ。開口一番、浅地さんが言った。「小さな劇場で、必死にパフォーマンスするAKB48にロックを感じました。彼女たちを観ていて、なぜか、涙が出たんですよ。僕は最近、こんなにがむしゃらにになったことがあったか?って。秋元さん、僕がプロデューサーをやっている限り、AKB48を応援しますよ」ミスターラジオマンの熱い言葉に感動した。「人がどう言おうが、自分がいいと思ったものを応援する。それができるのがラジオの醍醐味なんです」
浅地さんの言葉に支えられ、AKB48は我が道を進んで来た。
この時の恩は絶対に忘れない。どんなに売れても、浅地さんからの依頼は絶対に受けようと誓った。それ以来、毎年、この時期にスペシャル番組を組んでいただいている。昨日はその9回目。僕はAKB48のアルバムの歌詞を27時間不眠で書いていてふらふらだったが、メンバーと一緒に出演した。浅地さんの顔を見ると、「また、来年も頑張ろう」と思えて来るからだ。熱い思いは必ず、誰かに伝わる。AKB48はこんな熱いみなさんに支えられているのだ。ファンのみなさんも熱い。メンバー、そして、僕たちスタッフはかな熱さに支えられている。bayfmの浅地さん、スタッフのみなさん、本当にありがとうございます。来年も熱く頑張ります。