沖縄民謡”でんさー節” ── 音楽の不思議

”西表島でんさー節”を歌う島の方々。

 

 

 

 

 

沖縄の方言はほとんど分かりません。

 

 

沖縄に住む若い人も、昔の言葉は分からないと言います。

 

 

琉球列島のことばは、いまから約1700年前に、日本列島のことばから分かれたとみられ、南九州から南下したとみられています。

1700年前といえば、『万葉集』の時代すなわち、奈良時代よりも、さらに400年ほど前です。

琉球列島のことばは、あきらかに現代の日本語と対応する形をしています。

ひろ い意味で、琉球列島のことばは、日本語の方言とみてよい形をしているのです。

たとえば、琉球列島の首里方言では、「手」のことは、「ていー」。「目」は、「みー」 。

 

 

そのほかにも古代の日本の文化と非常に近いものがあります。

 

 

 

沖縄の祭主は、今もほとんどが女性です。

卑弥呼の事例があるように古代のシャーマンは女性でした。

 

 

 

 

日本の祭主王である天皇は、昔は女性天皇が多くいました。

神功皇后(天皇と表記されている場合がある)、推古天皇、持統天皇、など、

男系主義者が言うような「中継ぎに過ぎない」ような女性天皇ではけっしてなかった。

そのすさまじい程の活躍ぶりや、この国の特色をいかに確定したかがこの本に描かれています。男性以上の働きをしたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

また、明治政府の皇室典範作成時に起きていた、一連の経緯が記録に残っています。

 

 

伊藤博文総理大臣の時代、井上毅(イノウエ コワシ)が多くの女性天皇容認(正当性を認める)者を抑えて、少数派だったはずの男系を押し切ったた時の根底にあった理由は、シナ文明から発祥した「男尊女卑」思想だったのです。

 

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田中卓氏の論文の引用部から

 

島田の発言の一部を引用すると、以下のごとくである。

「我国今日の状態を見よ。男子にして妻妾を畜(たくわ)ふるも、社会未だ甚しき侮蔑を此人に加へず、女子にして数男を見(まみえ)れば、社会は如何なる眼を以て之を見んとするか。又見よ、貴賎一般の相続法を見よ。又長女却(かえっ)て次男に位置を譲るにあらずや。又見よ、民間夫妻の関係を見よ。男戸主の妻を迎ふるは勿論、女戸主にして夫を納(い)るゝも、一旦結婚するの後は、内外の権一切夫に帰して、妻は其の命唯聴(ただきく)に非ずや。是等の風俗慣習あるにも拘わらず、男女無差別と云ふは、政治上の観察に於ては、不可思議の見解と云ふべきなり。人情既に此の如く、現状も亦此の如し。皇婿を出して女帝に配侍せしむるに於て、人民は女帝の上に別に貴者あるが如き思を為すを免るゝ能はず。是れ予が威厳に害ありと云ふ所以(ゆえん)なり。」(297頁)

 

また沼間の発言の一部を引用すると、以下の通りである。

「此に男女の子を有する者あらん。其長子女にして次子男なるときは、其家を相続せしむるに男子を以てする乎、抑(そもそも)女子に譲らん乎。我国風、其長たり次たるの順序に拘らず、男子に相続せしむるにあらずや。是れ独り我国のみ然るにあらず、又民間のみ然るにあらず、立憲君制の諸国と雖(いえども)も、此の如きなり。王家と雖、亦この如きなり。然らば即ち男女に区別なしと云ふ可らず、男女に階級なしと云ふ可らず。反対論者にして此簡単見易き事実を暁(さと)らば、即ち女帝を立るを可とするの謬見(びゅうけん)なるを覚らんとす。既に此区別あるを見ば、何ぞ奇論を立て反対を為すを要せんや。又男を尊び、女を卑むの慣習、人民の脳髄を支配する我国に至ては、女帝を立て皇婿を置くの不可なるは、多弁を費すを要せざるべし。」(288~9頁)

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基準がめかけ? 天皇の歴史に無関心なのは、現代の政治家も明治の政治家もあまり変わりありません。

 

この程度の理由で、まったく低レベルの浅知恵で、歴史に名を残してきたはずの女性天皇の、未来への可能性を奪ったのか!

弱い人間ほど何かを・誰かを貶め、自分を確かなものにしたくてしょうがない。その類でしょう。

 

 

http://www.seiseikikaku.jp/special/renketunotomohe/index.html

 

 

 

 

保守を気取る者達の、男尊女卑思想は、根底に弱さを隠そうとする強がりがあるのではないでしょうか。

男系主義者が、いかに伝統を履き違えているか。

近々に、古代史の泰斗田中卓氏の論文が、単行本で刊行されるという。

ご高齢でありながら、若くはつらつとした思考力が産み出す名論に触れられる機会があることを、幸せに思います。

 

 

 

 

 

さて、音楽の不思議さに言及しなければ・・・

 

 

 

 

 

”ちゅらさん2”のDVDの一番最後に登場する、

おばーの恋人役山里勇吉(沖縄民謡の大御所)。

彼が弾き語りする西表島の”でんさー節”を初めて聞いたとき、

意味がさっぱり分からないのに、

鳥肌が立ったのを今でも思い出します。

感動して何度も何度もリピートして聞きました。

 

 

歌詞を解説したHPがあります。 http://taru.ti-da.net/e1470061.html

 

 

「でんさー」とは、言い伝えのようです。

 

夏川りみが歌うでんさー節も良いですが、山里勇吉氏の声には不思議な響きがあります。

モンゴルの何とかという発声法に近いものがあります。

 

 

 

古くから伝わる良い習わし。悪しき因習は排除し、良い習わしは残す。

歴史が証明してきた知恵を子孫に伝える。これが真の保守でありましょう。

男尊女卑思想者、井上毅の呪縛を今こそ解き放そうではありませんか。

この国に、シナ文明から発祥した文化を受け継ぐ必要は、まったくありません。

近隣にある中国の属国のような国とは、ぜんぜん違うのですから。